母と息子

あまり語られない母と息子の毒親関係について

【はじめに】毒親について

 「毒親」については、既に散々ネットで取り上げられている。私も、この毒親についての経験と、今考えていることを書かせてもらう。

 毒親という言葉は、もともとスーザン・フォワードというアメリカのセラピストが著した本『毒になる親 一生苦しむ子供』が発祥となっているようだ。

 この本を書店で、あるいはネットの記事で目にし、結果的に手にとった人は、親子関係についてなにか言語化できない、しかし無視できないものがあった人なのだろう。

 そうしてこの本を手に取った人の多くがそうであったように、私も「ああ、そうだ」と思った。

 

 40年間、親子関係、特に母親との関係に悩んできた。その呪縛から逃れられるようになってきたと感じたり、それは思い違いだったと気づいたりの繰り返しである。

 

 「毒親」は、母と娘の関係が語られることが多いようで、男性の経験談はあまり見かけない。だが私は、息子の立場から母との関係について記したい。このテーマ(息子と母親)のことはまだあまり語られていないと思う。

 

 このテキストが本当に誰かの役に立つのかは分からない。しかし、もし一人でもこのテキストによって何らかの気づきやヒントがあればと思う。現在同じような環境下にある人がいれば、私の気づきを踏み台にして、無駄な時を過ごさず、豊かな人生を歩んでほしい。

 

 加えて、「あなただけではない」ということを知っておいて欲しい。自分が一番悩んでいた学生時代にこのような体験談は他に全く見かけることはできず、とても孤独で辛かったためである。

 

 また、この記録の最後には、なぜ男性の経験談はあまり語られないかについても考察を述べたい。

 

 それから、「宗教2世」についても記す。私の場合は、エホバの証人である。生まれたときからエホバの証人の勉強をさせられていた。

 

 正直に言って、思い出したくないようなことだらけである。

 過去を振り返り、「他に方法はなかったのか? いや、なかったのだろう、やるだけやったのだ」などと考察を加えるのは、不快なものである。本来であれば豊かに過ごすことができた時間(時間とは人間にとって生きることの価値そのものだ)を何十年も無駄にし、人生の方向性を決めてしまったかもしれないことについて考えるのだ。

 考えすぎ、苛立ち、キーボードを打つ手が止まりそうなる。そのため、できるだけ機械的に時系列で書いていくこととする。